大きな招き猫が迎えてくれる今戸神社【東京都】

今戸神社(台東区)

今戸神社
今戸神社(東京都台東区)

以前、ネコにまつわる神社を訪れたことがある。

ネコが関係する神社がいくつかあることに少々驚いたが、台東区にも「猫好きにはいい」と言われている神社があるという情報を入手した。

今戸神社のようす

今戸神社
招き猫の石像(今戸神社)

今回参拝したのは台東区にある今戸神社いまどじんじゃ

この神社とネコにどんなつながりがあるのかと探すと、拝殿内に大きな猫の置物がいたり、境内に猫の石像があったりした。

境内に「今戸焼発祥の地」の碑を読むと、どうやらネコとのつながりは「今戸焼」が関係していて、今戸焼はこのあたりの名物のようだ。

そして今戸焼の作品として招き猫もあることから、この神社のマスコットキャラ的な存在になっているという流れみたいだ。

あとで調べてみたら、今戸焼で作られた招き猫は「丸〆猫」と呼ばれていて、浮世絵などにも描かれているという。

今戸焼発祥の地&沖田総司終焉の地

境内の「今戸焼発祥の地」の説明板には次のように書かれていた。

今戸焼 台東区今戸一丁目五番二十二号 今戸神社
今戸焼とは現在の台東区今戸の地で焼かれてきた日用品の土器類・土人形類のことで、かつては江戸を代表する焼き物として繁栄していた。地元の今戸神社にある狛犬台座には宝暦二年(一七五二)に奉納した四十二名の陶工らの名が刻まれており、数多くの木を並べていたことが伺える。
今戸焼の起源は定かではないが、伝承では天正年間(一五七三~九一)に千葉氏の家臣が今戸辺りで焼き物を始めたとか、徳川家康入府後三河の陶工が今戸に移って来たともいわれる。「今戸焼」の名としては十八世紀末頃から明らかに見られ、十八世紀前半頃に本格的な土器生産が始まったと思われる。隅田川沿岸はかつて瓦を含めた土製品の生産が盛んであったようで、瓦町の名や瓦焼が早くから知られていた。江戸時代の文献である『江戸名所図会』には瓦作りの挿絵がみられ、「隅田川長流図巻」(大英博物館所蔵)には今戸焼の窯が描かれている。
近年の江戸遺跡の調査によって施釉土器、土人形や瓦等が多く出土し、そのなかには今戸焼職人の名が刻印されている土器・土人形、今戸の地名を印した瓦も見られ、隅田川沿岸の窯業との関連が注目されている。
関東大震災や東京大空襲により職人が次々に区外へ移り、現在今戸には一軒のみが残り、伝統を伝える「口入れ狐」や「招き猫」などの人形が今でも製作されている。
平成十三年三月/台東区教育委員会

今戸神社についての紹介もあり、次のように書かれていた。

今戸神社
御祭神 應神天皇、伊弉諾尊・伊弉冉尊、福禄寿
当社は元今戸八幡宮と称し、後冷泉天皇の時代康平六年(一〇六三)源頼義、義家父子は勅令に依り奥州の夷賊安太夫安倍貞任、宗任を討伐の折今戸の地に到り、京都の石清水八幡を鎌倉鶴ヶ岡と浅草今津村(現今戸)に勧請しました。
應神天皇の母君神功皇后は新羅を始め三韓親征の際、時恰も天皇を宿されその帰路天皇を九州筑紫で誕生されました。
従って應神天皇を別名胎中天皇・聖母天皇とも称し、安産子育ての神と崇敬されております。
伊弉諾尊・伊弉冉尊御夫婦の神は加賀の白山比咩神社の御祭神にして、嘉吉元年(一四四一)千葉介胤直が自分の城内に勧請しました。
諾冉二神は子孫の繁栄を与えられると共に縁結びの神と崇敬されております。
昭和十二年今戸八幡と合祀され今戸神社と改称されました。
今戸の地名は古くは武州豊島郡今津村と称し、その後今戸(別字今都)となりました。


今戸神社は、ほかの神社と比べると人気があるほうで参拝者が次々とやって来ていた。

神社もネコを推しているようで、招き猫の絵馬もあったりする少し特徴のある神社だった。

入手した浅草の観光案内リーフレット

浅草名所七福神リーフレット
浅草名所七福神リーフレット

浅草に関連する観光用のリーフレットを入手したが、そのうちの「浅草名所七福神」に今戸神社のことが書かれていた。

紹介文によると「招き猫発祥の地でもあり、この地で十六世紀から焼かれていた今戸焼の始まりともいわれています」という記述もあったので、このあたりが招き猫の発祥地ともいえるようだ。

浅草の観光リーフレット
浅草の観光リーフレット

また浅草を地図を中心に観光案内をしているリーフレットもあった。

今戸神社周辺のMAP

今戸神社
(所在地 東京都台東区今戸1-5-22)

■今戸神社までの距離(徒歩の場合)
・浅草駅…約 1.15km(14分)

観光情報についての参考サイト

今戸神社

TAITO おでかけナビ
台東区公式観光情報サイト

台東区
公式サイト

GO TOKYO
東京の観光公式サイト