宇賀福神社(鎌倉市)
銭洗弁財天のようす

宇賀福神社は銭洗神社という名前のほうが知られているようで、名の通りお金を洗うとご利益があるというから参拝者の多い神社だ。
初めて銭洗いというご利益を知り、じゃあやってみようといきなりお金を洗おうとした。
ふと、となりの参拝者を見ると、ざるにお金を入れていて、洗い方の作法らしきものがあることに気づいた。

注意してみると社務所前にざるがあり、参拝者はそれを利用するようになっているので気をつけよう。
宇賀福神社の入口には神社の説明板があったが、そこに銭洗いについて次のように書かれていた。
銭洗弁財天 宇賀福神社
祭神…本宮 市杵島姫命、奥宮 弁財天
創建…文治元年(1185)
巳の年の文治元年(一一八五)、巳の月、巳の日、源頼朝に宇賀福神の夢のお告げがありました。「西北の谷に湧き出す霊水で神仏を供養せよ。天下は泰平になるであろう」
お告げの通りにこの池に湧き水があったので、さっそく宇賀福神を祀り、その水で神仏の供養を行ったことが、創建の由来だといわれています。
この湧き水でお金を洗って使うと、何倍にもなって返ってくると信じられています。鎌倉五名水の一つです。

参拝と銭洗いをすませた後は境内を散策してみた。
宇賀福神社がほかの神社と異なる特徴として、参道がトンネルになっていることがある。
小さくて距離の短いトンネルだが、初めて体験するトンネル参道はドキドキした。
トンネルを抜けるとすぐに神社の境内となるが、せまい空間を想像していたので意外と広くて驚いた。
また、トンネル入口にある鳥居の横には神社の由緒を書いた説明板があり、次のように紹介されていた。
鎌倉銭洗弁財天宇賀福神社 御由緒
鎌倉駅の西方、佐助ヶ谷の奥にある銭洗弁財天は、その霊顕あらたかなることを以って、広く世に知られています。
鎌倉幕府の始祖源頼朝公(一一四七~一一九九)は、平家を討伐して治承七年(一一八三)幕府を樹立しましたが、永い戦乱によって国民の生活は苦しくなっていました。これを憂いた頼朝公は、人々の苦しみを取り除こうとして、神仏の加護を願って、日夜お祈りを捧げたのです。そのうち、文治元年(一一八五)の巳の月の巳の日に不思議なことが起りました。
一人の老人が頼朝公の夢枕に現われて、「ここから西北の方向に仙境があり、きれいな泉が岩の間から湧き出しています。そこは清浄な地で福の神が住んでいて、その水を使っています。この水こそは真の神の霊水なのです。この水を絶えず使って、神仏をまつれば、人々は自然に信仰心を起こし、悪鬼や邪気も退散して、国内はすぐに平穏に治まります。私こそは隠里(かくれさと)の主である宇賀福です。」というとその姿を消しました。目を覚した頼朝公は、心から宇賀福を敬い、夢のお告げの通りに西北の谷に泉を見つけました。そこに岩窟を掘らせ、宇賀福をまつり、その水を使って神仏の供養を続けると国中は静かになり、人々は富み栄えるようになり、これがここの起りだといわれています。
その後、正嘉元年(一二五七)巳の年の仲秋に、時の執権北条時頼公は、頼朝公の信心を受け継いで、隠里の福神を信仰しました。その時、公は「辛巳(かのとみ)」「なる」「かねの日」がすべての人々に福徳が授けられる日だと調べ、この日に人々が参詣することをすすめたということです。
また、この時弁財天を信仰する者が、持っている金銭をこの水で洗い清めると同時に心身を清めて行いを慎しめば、不浄の塵垢が消えて、清浄の福銭になるといい率先して持っている金銭を洗って一家繁昌、子孫長久を祈りました。以来七百余年銭洗井は鎌倉五名水の一つとしても天下に聞こえ、四季の参詣者は絶える事はありません。
神社で子育てするツバメ

訪れたときはツバメが営巣する季節で、境内でもツバメの姿を見かけた。
ツバメは社務所の電灯に巣を作っていて、親鳥はひっきりなしにヒナに餌を運んでいた。
近寄って見てみると、ヒナの愛らしい姿があり、ほっこりできてなんだか得した気分になった。
神社はにぎわっていたので、あまりゆっくりできずあとにしたが、宇賀福神社では銭洗いという初体験、珍しいトンネル参道、かわいいツバメのヒナと、何かと印象に強く残る神社だった。
銭洗弁財天 宇賀福神社周辺のMAP
銭洗弁財天宇賀福神社
(所在地 神奈川県鎌倉市佐助2-25-16)
■銭洗弁財天宇賀福神社までの距離(徒歩の場合)
・鎌倉駅…約 1.37km(17分)
観光情報についての参考サイト
■鎌倉INFO
鎌倉市観光協会
■かまくら観光
鎌倉市のサイト
■鎌倉市
公式サイト