トラの神獣がいる善國寺【東京都】

新宿山ノ手七福神のひとつ善國寺(新宿区)

善國寺
善國寺(東京都新宿区)

神楽坂通り沿いにある善國寺には虎の神獣がいる。

狛犬ではなくトラは珍しいので、神獣のトラに会いに行ってきた。

善國寺のようす

善國寺
善國寺(東京都新宿区)

善國寺は朱色を基調としていて境内はあまり広くない。

人気があるようで参拝者はつねにいた。

神獣の石虎

善國寺
善國寺の石虎(東京都新宿区)

本堂へ行く前の階段にトラがいた。

座った姿勢で様子を窺うような姿勢をとっているように見え、サイズも思っていたより大きかった。

強面の表情は迫力があった。

トラの神像についての説明板があり、次のように書かれていた。

善國寺の石虎/新宿区有形民俗文化財
所在地…新宿区神楽坂五丁目三十六番地
指定年月日…平成二十一年十一月六日

安山岩製の虎の石造で、像高は阿形(右)が八十二センチ、吽形(左)は八十五センチで、台石・基檀部も含めた総高は、両像ともに二メートルをこえる。台石正面には浮彫があり、虎の姿を動的に表現している。
嘉永元年(一八四八)に奉納されたもので、阿形の台石右面には、「岩戸町一丁目」「藁店」「神楽坂」「肴町」などの町名と世話人名が刻まれ、寄進者が善國寺周辺の住民であったことがわかる。石工は原町の平田四郎右衛門と横寺町の柳沼長右衛門である。
善國寺は毘沙門天信仰から「虎」を重視し、石虎の造立も寄進者らの毘沙門天信仰によると考えられる。また、台石に残された寄進者や地名は、江戸時代後期における善國寺の毘沙門天信仰の広がりを示している。
石虎は都内でも珍しく、区内では唯一の作例である。戦災による傷みが見られるが、希少な石像であるとともに、地域にとっても貴重な文化財である。
なお、阿形の台石正面にある「不」に似た刻印は、明治初年のイギリス式測量の几号水準点で、残存している数は全国的に少ない。

平成二十一年十二月/新宿区教育委員会

新宿山ノ手七福神のうちの「毘沙門天」

善國寺
毘沙門天 善國寺(東京都新宿区)

善國寺は「新宿山ノ手七福神」のひとつにもなっていて、毘沙門天をまつっているようだった。

毘沙門天像は見れなかったが、説明板には次のように書かれていた。

善國寺の毘沙門天像/新宿区指定有形文化財 彫刻
所在地…新宿区神楽坂五丁目三十六番地
指定年月日…昭和六十年七月五日

「神楽坂の毘沙門さま」として、江戸時代より信仰をあつめた毘沙門天立像である。
木彫で像高三十センチ、右手に鉾、左手に宝塔を持ち、磐座に起立した姿勢をとる。造立時期は室町時代頃と推定されるが、詳しくは不明である。加藤清正の守本尊だったとも、土中より出現したともいわれる。
善國寺は、文禄四年(一五九五)徳川家康の意を受けて日惺上人により創建された。この像は、日惺上人が鎮護国家の意をこめて当山に安置したもので、上人が池上本門寺に入山するにあたり、二条関白昭実公より贈られたと伝えられる。
毘沙門天は、別名を多聞天と称し、持国天・増長天・広目天と共に四天王の一つである。寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に現れたといい、北方の守護神とされる。
善國寺の毘沙門天は、江戸の三毘沙門と呼ばれ、多くの参詣者を集め、明治・大正期には東京でも有数の信仰地として賑わった。現在も、正月・五月・九月の初寅の日に毘沙門を開帳し、賑わいを見せている。

平成二十一年十二月/新宿区教育委員会

入手した新宿区の無料パンフレット

歩きたくなるまち新宿
新宿区のリーフレット「歩きたくなるまち新宿 神楽坂」

「観光マップ 歩きたくなるまち新宿」は、駅などに置いてある無料のパンフレットのひとつで、マップシリーズは5種類あった。

「神楽坂」版には善國寺も紹介されていて、今回の新宿散策に役に立った。

善國寺周辺のMAP

神楽坂 毘沙門天 善國寺
(所在地 東京都新宿区神楽坂5-36)

■善國寺までの距離(徒歩の場合)
・牛込神楽坂駅…約 0.445km(05分)
・神楽坂駅…約 0.595km(07分)
・飯田橋駅…約 0.688km(08分)

観光情報についての参考サイト

神楽坂 毘沙門天 善國寺
公式サイト

新宿観光振興協会

GO TOKYO
東京の公式観光サイト