鎧を埋めたという伝承のある神社【東京都】

珍しい庚申塔があると知り鎧神社へ(新宿区)

鎧神社
鎧神社(東京都新宿区)

鎧神社に「狛犬型庚申塔」という珍しいものがあると知り参拝した。

しかし神社は駅から少し歩く距離にあり、しかも住宅地の中だったので探しにくくて苦労した。

目印となったのは寺と小学校で、この2つ近くに神社が鎮座していた。

鎧神社は境内に保育園があるちょっと変わった神社だった。

鎧神社のようす

鎧神社
鎧神社(東京都新宿区)

やっとで到着した鎧神社には境内で遊んでいる小さい子どもがいて母親たちはおしゃべりしていた。

大きな木が日陰をつくるちょっとした広場(境内)があるため、子どもには格好の遊び場で親たちにとっては交流の場になっているんだろう。

和やかな雰囲気の中、参拝し目的の庚申塔を探したが鎧神社ではなく末社の天神社にあった。

鎧神社はノーマークだったが、神社の縁起を読むと興味深い神社だった。

鎧神社縁起

祭神…日本武命 大巳貴命 少彦名命 平将門公
縁起・氏子地

当社は江戸時代迄、鎧大明神と称し此の辺りの古社として人々の尊崇を受けて来たが、鎧の社名は日本武命御東征のおり、甲冑六具の内を此の地に蔵めた事より社名起ると伝えている。
天慶三年(九四〇)関東に威を称えていた平将門公、下総猿島に亡びし時、土俗の公を追慕して天暦(九四七)の始め、将門公の鎧も亦此所に埋めたという。
別説によれば将門軍残党を追って此地に来た藤原秀郷、重病を得て悩み苦しんだ時、是れ皆将門公の神霊の怒り也と怖れ、薬師如来を本尊とする円照寺々内に公の鎧を埋め、一祠を建てて厚くその霊を弔った所、病い悉く癒えたという。
これを聞いた里人達その神威のあらたかなるを畏み、柏木淀橋にかけての産土神、鎮守の社として深く信仰して来たものである。
明治初期将門公は朝廷に反したものとして官の干渉で末社に移されたが、大戦後氏子全員の願いで本社に復する。
氏子地は北新宿全域と西新宿一部


以上が境内にあった説明文だが、日本武命や平将門など有名人の名が出てくるあたりに驚いた。

ほかの神社に比べて参拝者も少なく、静かな雰囲気でたたずんでいる素朴な神社と思っていたが、意外な伝承を知って得した気分になった。

天神社

天神社
鎧神社境内にある天神社(東京都新宿区)

さて、目的の「狛犬型庚申塔」だが境内にある「天神社」の社にあった。

勝手なイメージで社の前に庚申塔があると思い込んでいたので、鎧神社の境内をあちこち探して回り、気づくのが遅かった。

ふと天神社の社を見るとサルのような神獣が鎮座していたので、珍しいと思って案内板を読むと、この彫刻が探していた庚申塔だと知り驚いた。

狛犬型庚申塔(新宿区指定有形民俗文化財)

天神社の両脇にある狛犬は、全国的にも非常に珍しい狛犬型庚申塔です。
造営は享保6年(1721)で、向かって右側が阿形像(雄)、左側は叫形像(雌)。
江戸西郊の農村文化がうかがえる造型で民俗学的にも貴重な資料です。

天神社
天神社の狛犬型庚申塔(鎧神社境内)

通常、庚申塔といえば文字が書かれた石柱や仏像などが彫られた石などが多いので、狛犬のような姿をしていては庚申塔とは思えない。

事前に情報がなかったり、この説明文を読んでいなかったりしたら気づかないだろう。

聞いていた通りかなり珍しい庚申塔を見ることができて、とても満足した。

稲荷神社

庚申塔を探すため境内をめぐっていたら、鎧神社の左隣に稲荷神社もあった。

稲荷があまり見ない彫り方でやさしい感じをしたイケメンのキツネだった。

狛犬型庚申塔を見るために訪れた鎧神社だったが、知らなかった名所がたくさんあって、あっという間に時間が過ぎて夕暮れになっていた。

神社を参拝するときは時間に余裕を持っていないとダメだと反省し、神社を後にした。

鎧神社周辺のMAP

鎧神社
(所在地 東京都新宿区北新宿3-16-18)

■鎧神社までの距離(徒歩の場合)
・大久保駅…約 0.849km(10分)
・東中野駅…約 0.919km(11分)
・新大久保駅…約 1.06km(13分)

観光情報についての参考サイト

■鎧神社
http://yoroi.or.jp/index.html

■新宿観光振興協会
http://www.kanko-shinjuku.jp/

■新宿区 公式サイト
https://www.city.shinjuku.lg.jp/

■GO TOKYO
https://www.gotokyo.org/jp/index.html
→東京の観光公式サイト