小泉八雲終焉の地と小泉八雲記念公園(新宿区)

ホラーやオカルトが好きな人だと聞いたことがあるかもしれない人物「小泉八雲」氏。
小泉八雲氏は小説家で、ホラー系の書籍を探していたときに初めて作品に出会い、短編集を読んですぐに好きになった。
名前から勝手に日本人だと思っていたが、のちに「ラフカディオ・ハーン」とわかり、新宿区に居住して執筆していたことを知る。
新宿区に小泉八雲記念公園があると知り訪れてみた。
小泉八雲終焉の地と記念公園

ホラーやオカルト系の小説が読みたくて本屋へ寄ったときに出会ったのが小泉八雲氏の小説。
もう亡くなっている方なので新しい作品ではないが、むかしの日本風景が浮かぶ小説は面白くて、現代の小説にはない味わいがあって新鮮さを感じファンになった。
ひょんなことから小泉八雲氏が新宿区に住んでいたと知り、とても驚いた。しかも公園まであると知ってさっそく訪れてみた。

小泉八雲氏が新宿区と縁があると知ったのは新宿歴史博物館だった。
常設展示コーナーで新宿区とゆかりのある文豪を紹介しており、そこに小泉八雲氏の名前があった。知っている作家がこの街にいたことを知って得した気分になった。
そのあと調べていくと、新宿区に「小泉八雲終焉の地」と「小泉八雲記念公園」があることがわかって訪れてみた。
終焉の地は石碑しか残っておらず、当時の面影なんて全然ない。それでも好きな作家さんがかつて住んでいた場所に立てて嬉しくなった。
終焉の地(小泉八雲旧居跡)には次のように紹介されていた。
小泉八雲終焉の地
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は嘉永三年(一八五〇)ギリシアのレフカダ島に生れた 明治二十三年アメリカの新聞記者として来日その後記者をやめ小泉セツと結婚 松江・熊本で教鞭をとった
明治二十九年日本に帰化し 以来 東京帝国大学 早稲田大学で英文学を講じながら「怪談」等幾多の英文による名作を執筆した
明治三十五年市谷富久町からこの地大久保に居を移した
明治三十七年(一九〇四)九月二十六日妻子の身を案じ 自分の仕事を気にしながら「ああ 病気のため……」の悲愴な一語残し帰らぬ人となった 時に五十四歳であった
伝統的な日本文化を広く欧米に紹介した彼の功労に対し 大正四年 日本政府は従四位を追贈した 我が国の自然と文化をこよなく愛しその真の姿を伝えた功績は偉大であり 高く評価されている
昭和六十一年十月二十三日/東京都新宿区長 山本克忠
小泉八雲記念公園

終焉の地のすぐそばに小泉八雲記念公園がある。
園内はきれいに整備されていて小泉八雲氏の胸像はギリシャ政府から送られてきたものという。
小泉八雲氏を紹介する文もあったので歴史にふれることができてよかった。
新宿区は小泉八雲氏以外にも文豪と縁がある街なので、興味がある人は新宿歴史博物館へ行き、情報収集してみるといいかもしれない。
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小泉八雲記念公園について
開園時間(2024年)
・4月~9月…08:00~18:00
・10月~3月…08:00~17:00
小泉八雲記念公園
(所在地 東京都新宿区大久保1-7)
小泉八雲終焉の地
(所在地 東京都新宿区大久保1-1-21あたり)
※新宿区立大久保小学校近く
■小泉八雲記念公園までの距離(徒歩の場合)
・新大久保駅…約 0.294km(03分)
・東新宿駅…約 0.649km(08分)
・新宿駅…約 1.07km(13分)
観光情報についての参考サイト
■新宿観光振興協会
https://www.kanko-shinjuku.jp/
■新宿区 公式サイト
https://www.city.shinjuku.lg.jp/index.html
■GO TOKYO
https://www.gotokyo.org/jp/index.html
→東京の観光公式サイト