鎌倉は名所がたくさん! まさか源頼朝の墓があるとは思わなかった【神奈川県】

国指定史跡となっている源頼朝の墓(鎌倉市)

源頼朝の墓
源頼朝の墓(神奈川県鎌倉市)

鎌倉で街あるきをするときは訪れたことがない場所へ行くようにしている。

アジサイで有名な場所を訪れたとき、近くに「源頼朝の墓」があることを知ったので訪れてみた。

静かな場所でたたずむ源頼朝の墓

源頼朝の墓
源頼朝の墓(神奈川県鎌倉市)

駅周辺はたくさんの人がいて活気がありにぎやかな印象を受ける鎌倉。

観光客と思われる人たちが道のあちこちで見かけるから人気のある街だとわかる。

行く場所には必ず人がいたけど源頼朝の墓は人の気配がなくとても静かな場所だった。

お墓はやや急な階段を上がり切ったところにあり、史跡の案内板が立っていて次のように紹介されていた。

源頼朝の墓

源頼朝は、治承四年(1180)平家打倒のため挙兵、鎌倉を本拠として元暦二年(1185)に平家を滅ぼしました。また、鎌倉幕府を大蔵(現在の雪ノ下三丁目付近)に開いて武家政治の基礎を築きました。

正治元年(1199)に五十三歳で没すると、自身の持仏堂であった法華堂に葬られ、法華堂は頼朝の墓所として厚く信仰されました。法華堂は後に廃絶しましたが、この丘の上一帯がその跡です。

現在建っている塔は、後に島津藩主・島津重豪が整備したものとされます。

希義公の土と石

父義朝が平清盛の前に屈した「平治の乱(二五九年)」のおり、平家方に捕縛された兄頼朝は当時13才、同じ父母の下に生まれた希義は当時3才と言われていますが、其の後一度として兄弟の再会なく今日に至っています。

公家政治から武家政治へ移行の戦乱の狭間、兄弟の悲哀を想い、今日互いの墓所の土と石を交換し八三五年の時を経て兄弟を再会させたものです。

平成六年(1994年)九月二五日
源頼朝公報恩会/源希義公顕彰会

源頼朝の墓
源頼朝の墓(神奈川県鎌倉市)

国指定史跡 法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)

この平場は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の法華堂(墳墓堂)が建っていた跡です。

治承4年(1180)平家追討のために挙兵した源頼朝は、同年に鎌倉に入りました。元暦2年(1185)に平家を、文治5年(1189)に奥州藤原氏を滅ぼした頼朝は、鎌倉を拠点とする武家による全国的な政権の基礎を築きました。以降、江戸時代が終わるまで、約700年間にわたり、武家による政権が続くことになります。

建久10年(1199)に頼朝が53歳で没すると、法華堂は幕府創始者の墳墓堂として、のちの時代の武士たちからもあつい信仰を集めました。

鎌倉幕府滅亡後も法華堂は存続しましたが、17世紀の初頭までには堂舎がなくなり、石造りの墓場が建てられました。現在の墓城は、安永8年(1779)に薩摩藩主島津重豪によって整備されたものです。

平成24年3月/鎌倉市教育委員会

土地にはいろんな歴史があるが語り継がれないと後世に記録が残らない。

教科書に書いてあることしか情報がなかったので案内板の内容はとても興味深かった。

鎌倉はたくさんの名所がある。訪れていない場所がたくさんあるので、いずれ訪れてみたいと思う。

源頼朝の墓について

源頼朝の墓
(所在地 神奈川県鎌倉市西御門2-5)

■源頼朝の墓への距離(徒歩の場合)
・JR鎌倉駅…約 1.62km(20分)

■源頼朝の墓への距離(車の場合)
・鎌倉市役所…約 2.42km(07分)
・神奈川県庁…約 20.1km(44分)

観光情報についての参考サイト

■鎌倉観光公式ガイド
https://trip-kamakura.com/
→鎌倉市観光協会

■鎌倉市 公式サイト
https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/index.html

■観光かながわNOW
https://www.kanagawa-kankou.or.jp/
→神奈川県公式観光サイト