桜を見に愛宕神社へ【東京都】

愛宕神社(港区)

愛宕神社
愛宕神社(東京都港区)

ある春、桜が開花し始めたので芝公園から新橋駅へ向かいながら桜めぐりをしていた。

すると丘の上に桜が咲いているのが見えたので、寄ってみようと上る道を探していると、参道を発見し丘の上に愛宕神社があると知った。

目の前にある急勾配な石段を見て参拝しようか躊躇したが、桜が見たかったので石段を上ってみた。

桜の隠れ名所的な愛宕神社

愛宕神社
愛宕神社の出世の石段(東京都港区)

息を切らしながら石段を上りきると、正面には愛宕神社の社殿が見え、境内の桜は満開を迎えていた。

愛宕神社
愛宕神社(東京都港区)

花びらの淡いピンクが春の訪れを告げていて、四季を感じる景色をしばらく眺めていた。

愛宕神社
愛宕神社境内の池(東京都港区)

なかには散り始めている桜もあり、ときおり強い風にあおられて花びらが舞う幻想的な光景も見ることができた。

石段を上っている間、都市部にあるわりには高い丘だと思っていたが、このあたりでは一番高い山らしい。

愛宕山についての説明板があり、次のように紹介されていた。

愛宕山
愛宕山は洪積層の丘陵地で、標高は二六メートルである。山頂に愛宕神社がまつられ、江戸時代から信仰と見晴らしの名所としてにぎわった所である。
愛宕神社の祭神は火の神(火産霊命)が中心で、江戸時代には幕府の保護もあり、多くの人々から火伏せの神として信仰されてきた。
今日のように周囲に高層ビルが立つまでは、山頂からの眺望がすばらしく、東京湾や房総半島までも望むことができた。
また、愛宕山には、男坂・女坂・新坂などの坂道があり、男坂は神社正面の八六段の急勾配の石段で、寛永年間(一六二四~一六四四)に曲垣平九郎がこの石段を馬で上下したと伝えられる。

昭和五十年十二月/港区教育委員会

愛宕神社
愛宕神社(東京都港区)

桜の美しさにしばし目を奪われてしまったが、愛宕神社を参拝し境内を散策してみた。

愛宕神社
愛宕神社の弁財天社(東京都港区)

愛宕神社には弁財天社が鎮座していて池もあった。

水面に浮かぶ桜の花びらが風情をだしており、池をのぞくと鯉が元気よく寄ってきたのには少しビックリした。

愛宕神社
愛宕神社にいた鯉(東京都港区)

また境内には、愛宕神社について書かれた説明板にあり次のように紹介していた。

愛宕神社御由緒 (抜粋)
主祭神…火産霊命 罔象女命、大山祇命、日本武尊
祭 日…大祭 九月二十三・二十四日(出世の石段祭り/隔年)

当社は徳川家康公が江戸に幕府を開くにあたり江戸の防火・防災の守り神として将軍の命を受け創建されました。幕府の尊崇篤くご社殿を始め仁王門、坂下総門等を寄進され、祭礼等でもその都度下附金の拝領を得ておりました。また、徳川家康公のご持仏「勝軍地蔵菩薩」(行基作)も特別に祀られております。(非公開)
江戸大火災、関東大震災、東京大空襲の度に焼失しましたが現存のご社殿は昭和三十三年再建されました。寛永十一年三代将軍家光公の御前にて、四国丸亀藩の曲垣平九郎盛澄が騎馬にて正面男坂(八十六段)を駆け上り、お社に国家安寧の祈願をし、その後境内に咲き誇る源平の梅を手折り将軍に献上した事から日本一の馬術の名人として名を馳せ「出世の石段」の名も全国に広まりました。万延元年には水戸の浪士がご神前にて祈念の後、桜田門へ出向き大老井伊直弼を討ちその目的を果たした世に言う「桜田門外の変」の集合場所でもありました。(ご社殿内に額縁寄贈)
海抜二十六メートルは都内随一の高さを誇り、桜と見晴らしの名所として江戸庶民に愛され数多くの浮世絵にもその姿を残しています。明治元年には勝海舟が西郷隆盛を誘い山上で江戸市中を見回しながら会談し、江戸城無血開城へと導きました。鉄道唱歌にもその名が残り春は桜、夏の蝉しぐれ、秋の紅葉、そして冬景色と四季折々の顔を持つ風光明媚な愛宕山として大変貴重な存在となっております。ほおづき市・羽子板市は浅草の市に先駆け、発祥の地として江戸時代の書「東都歳時記」にもその賑わいは記され現在は六月の千日詣り、羽子板絵馬にその名残りをとどめています。

愛宕神社の出世の石段

愛宕神社
愛宕神社(東京都港区)

愛宕神社はステキなところだったが参拝を躊躇させる石段がすごかった。

愛宕神社
愛宕神社の出世の石段(東京都港区)

石段は下から見ると急勾配で迫力があり、しんどそうとしか思わなかったが、上から見ると眺めがよすぎて転げ落ちたら大ケガする!と恐怖を感じるレベルだった。

尻込みしてしまう石段だが、ちゃんと緩やかな傾斜の参道も用意されているので無理することなく利用したほうがいい。

石段の右側にある横道へ行くと神社へ続く参道となっていて、急傾斜の石段と比べると歩きやすいからおすすめだ。

この石段は「出世の石段」と呼ばれているが、鳥居近くに紹介文があり次のように書かれていた。

「出世の石段」のいわれ
愛宕神社正面の石段「男坂」(となりの緩やかな石段は「女坂」)は別名「出世の石段」と呼ばれ、その由来は講談で有名な「寛永三馬術」の一人曲垣平九郎の故事にちなみます。

時は寛永十一年。
三代将軍徳川家光公が芝増上寺ご参詣の帰り道 神社に咲き誇る源平の梅の馥郁たる香りに誘われて山頂を見上げて「誰か騎馬にてあの梅を取って参れ」と命ぜられました。しかし目前には急勾配な石段があり、歩いて登り降りするのにも一苦労。馬での上下など、とてもとても…と家臣たちは皆一様に下を向くばかり。
誰一人名乗りでる者はおりません。家光公のご機嫌が損なわれそうなその時!一人の武士が愛馬の手綱をとり果敢にも石段を上り始めました。
「あの者は誰じゃ?」と近習の臣に家光公からお尋ねがあっても誰も答える者はおりません。その内に平九郎は無事に山の上にたどり着き愛宕様に「国家安泰」「武運長久」を祈り、梅の枝を手折って降りてきました。
早速家光公にその梅を献上すると「そちの名は?」「四国丸亀藩の家臣、曲垣平九郎にございます」「この泰平の世に馬術の稽古怠りなきこと、まことにあっぱれ。日本一の馬術の名人である」と褒め讃えられました。
一夜にして平九郎の名は全国にとどろき出世をした故事にちなみ「出世の石段」と呼ばれるようになり、現代においても多くの皆様にご信仰を頂いております。

神社では石段を馬で上下した方の絵を見る事が出来ます。また、平九郎が手折ったとされる梅の木は社殿左側にあり今も花を咲かせております。東京都心とは思えない緑あふれる自然の山(都内二十三区で最高峰)です。どうぞご参拝下さい。

愛宕神社

愛宕神社
愛宕神社の狛犬(東京都港区)

たまたま見つけた愛宕神社だったが、花見客があまりいない穴場だったので数日通った。

桜の花見を楽しむだけでなく、木々に囲まれた落ちつける神社なので参拝してみるといいかも。

【こぼれ話】愛宕神社で見かけた動物たち

愛宕神社
愛宕オールスターズ(東京都港区)

愛宕神社には、犬2匹、猫3匹の「愛宕オールスターズ」なるものがあるらしく、社務所に写真付きで紹介されていた。

見ていたら、犬が猫にちょっかいを出していて、眠そうな猫は嫌そうな顔をしていた。 うーん…仲はあまりよくないのかな。

愛宕神社周辺のMAP

愛宕神社
(所在地 東京都港区愛宕1-5-3)

■愛宕神社までの距離(徒歩の場合)
・神谷町駅…約 0.508km(06分)
・虎ノ門駅…約 0.719km(08分)
・新橋駅…約 1.16km(14分)

観光情報についての参考サイト

愛宕神社

Minato 港区を楽しもう!!
港区観光協会

港区
公式サイト

GO TOKYO
東京の観光公式サイト