歴史的建造物は見応えバッチリ! 大正に造られた水門【東京都】

災害対策のために造られた水門(北区)

赤門(旧岩淵水門)
赤門の愛称で呼ばれる水門(東京都北区)

北区に「近代化産業遺産」に選ばれた水門があると知った。

赤水門と呼ばれる旧岩淵水門は、水害の対策として荒川と隅田川の分岐点に設けたもので、大正時代に造られている。

現在は青水門と呼ばれる新しい岩淵水門が活躍しているが、青水門ができるまで使われていたという。

2024年には国の重要文化財にもなった旧岩淵水門は、近くで見ることができるというので訪れてみた。

当時では珍しいコンクリート造りの赤水門

赤門(旧岩淵水門)
近代化産業遺産「旧岩淵水門」(東京都北区)

訪れた日は晴れているけど気温は高くない、街あるきには最高の天気。赤羽岩淵駅から散歩しながら荒川へと向かった。

川堤防に着いたら岩淵橋を渡って赤水門を目指す。水門周辺は整備され、散策路などがあるからアクセスがいい。バーベキューを楽しむ人や、ランニングしている人もいてにぎわっていた。

赤水門は遠くからでも目立つので迷うことはなく到着した。水門の脇にはいくつか説明板が設置されていて、その一つに次のように紹介されていた。

旧岩淵水門(東京都選定歴史的建造物)

旧岩淵水門は、明治43年(1910)東京下町を襲った大洪水を契機に、内務省が荒川放水路事業の一部として隅田川とこの分派点に設けた。

水門は、ローラーゲート構造で、幅約9メートルの五つの門扉からなっており、袖壁部も含めた長さは約103メートルの大型構造物となっている。本体は、レンガ構造では力学的に対応が困難であったことから、当時では珍しい鉄筋コンクリート造として、大正5年(1916)に着工し、同13年(1924)に竣工した。

昭和22年(1947)のカスリーン台風や昭和33年(1958)の狩野川台風の大出水の際も、機能を十分に果たしてきたが、昭和20年代後半からの東京東部地域一体における広域的な地盤沈下により、本水門も沈下したため、昭和35年(1960)に門扉の継ぎ足しが行われたほか、開閉装置の改修などが施され、現在の旧岩淵水門(赤水門)となった。

その後、昭和48年(1973)に荒川の基本計画が改訂されたことに伴い、水門の高さに不足が生じたことから、昭和57年(1982)に約300メートル下流に新たな岩淵水門(青水門)が整備され、旧岩淵水門はその役目を終えることとなった。

所在地 東京都北区志茂五丁目地先
設計者 青山 士
建設年 大正13年(1924)

赤門(旧岩淵水門)
旧岩淵水門(東京都北区)

紹介文を読んだ後、改めて川を見てみた。流れはとても穏やかで、過去に大きな水害が発生したと思えない。

天候が変わると、自然の狂暴な面が現れると考えたら、川の中に建つ水門が頼もしく見えた。

水門のことを詳しく知りたいのなら資料館へ

荒川知水資料館 アモア
荒川知水資料館の展示物(東京都北区)

赤水門を見るだけでも十分だけど、近くに「荒川知水資料館 アモア」がある。ここではより詳しく水門のことを知ることができるので訪れてほしい施設だ。

赤水門を通って島へ

中の島にあるオブジェ
旧岩淵水門の先にある中の島(東京都北区)

赤水門は通行可能で、向こう側にある「中の島」へ渡ることができる。中の島はとても小さく、目立つものといえばオブジェくらいだ。

観光施設はないけど、赤水門を間近で見ることができ、川の真ん中という珍しい景色を堪能できる場所でよかった。

赤水門の後継で現在活躍している青水門

青門(岩淵水門)
現在活躍中の岩淵水門(東京都北区)

時間がなかったので青水門は遠くから眺めるだけになったけど、近くで見たら感動すると思う。

これから行く人は時間に余裕をもって訪れ、赤水門・青水門・資料館を堪能してほしい。

旧岩淵水門について

赤水門は資料館の近くにある。アクセスは志茂駅からだと新志茂橋が近く、赤羽岩淵駅方面からだと岩淵橋を渡っていくことも可能だ。

旧岩淵水門 ※赤水門
(所在地 東京都北区志茂5)
※荒川下流河川事務所(荒川知水資料館)の近く

■旧岩淵水門までの距離(徒歩の場合)
・赤羽岩淵駅…約 1.14km(14分)
・志茂駅…約 1.2km(14分)
・赤羽駅…約 1.62km(20分)

観光情報についての参考サイト

■東京都北区 観光ホームページ
http://kanko.city.kita.lg.jp/

■東京北区観光協会
https://prkita.jp/

■北区 公式サイト
https://www.city.kita.lg.jp/

■GO TOKYO
http://www.gotokyo.org/jp/
 東京の観光公式サイト

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